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  Ji Nan
サイナン/チーナン

済 南

基本情報


済南市は山東省の省都で全省の政治、経済、文化、科学技術、教育の中心で、全国特大都市の一つです。済南市は山東省の中西部に位置し、京滬鉄道(北京―上海間)と膠済鉄道(青島―済南間)の交わる所で、“世界自然文化遺産”である泰山に南面し、北は“中華民族の母なる河”黄河に寄り添っています。済南市は現在脂コ区、市中区、槐蔭区、天橋区、誌驪諱A長清区、章丘市、平陰県、済陽県、商河県を管轄しています。

済南市には、大学が70あまり、中等専門学校が26箇所あります。各種科学研究機構、芸術団体、芸術館、博物館を擁しています。全市の医療機構は1000以上に達します。

済南は山東省の鉄道、幹線道路、航空の交通の中心で、京滬(北京―上海)膠済(青島―済南)の鉄道が市内で交わり、北は北京、天津に連なり、南は南京、上海、福州に接し、東は港湾都市青島、煙台に達しています。済南空港は国家の批准を経た国際空港で、香港、北京、上海、広州、深圳等の都市の34の航空路線があります。また済南ロシア間の国際貨物便も開通しています。同時にコンテナ分流センターと、済南香港間の陸の貨物輸送もあります。目下全市の車の通じる距離は4000キロあまりです。済南青島間の高速道路は中国で最も早く建設された高速道路のひとつで、現在済南と泰安、徳州の高速道路及び環状高速道路が通じています。済南は基本的に鉄道、航空、国道で一体的な運輸体系を形成し済南と全省を連結し、全国と海外との現代化された交通ネットワークを形成しています。

済南は中緯度地帯で、暖温帯大陸性季節風気候区に属し、春は乾燥し少雨、夏は暑さが厳しく多雨、秋は涼しく、冬はとても寒く乾燥するというように四季の区別がはっきりしています。1年の平均気温は、摂氏14,2度。年平均降水量は685mm

    済南は泉が有名で、「72名泉」がある。足勺 突泉(ほうとつせん)、黒虎泉、五龍泉、珍珠泉など数多くの泉が多くの観光客を引きつけています。済南市の風景を描く詩には「四面荷花三面柳、一城山色半城湖」の一句が有名です。
    済南は山、泉、湖、河が集まり一体となった独特の地理的風貌をもっていて、名所古跡が多く、中国歴史文化有名都市で、“泉城”(泉の町)の美称があります。多くの泉が集まる大明湖、仏教の聖地千佛山、“四絶之首”の中国の名刹霊岩寺、中国最初の単層石塔四門塔、“万里の長城”よりもまだ古い斉の長城、中国三大古文化の一つの“竜山文化”の遺跡、“2000年中国十代考古新発見の一”と評価される洛荘漢墓、及び紅葉谷、五峰山、蓮台山、臥竜峪などの景勝地など優美な自然の風光と悠久な歴史文化が一体に溶け合って毎年多くの四方八方から駆けつける旅行者を引き付けています。  

済南市の市花は「蓮の花」、市木は「しだれ柳」です。

    

 

観光スポット

Bao Tu Quan・ホウ トツ セン

足勺 突泉公園

足勺 突泉は済南市の中心に位置し、「72名泉の首」や「天下第一泉」と称される。周り17ヘクタールの敷地に、37の泉が集まる泉群である。昔は露店、占い、サーカス、芝居などに溢れとても賑やかなところだった。現在となりの万竹園と合併して市内随一の公園である。全国14優秀園林の一つである。

園内、足勺 突泉、宋の時代済南出身の女性詩人李清照の記念堂、山東出身の画家李苦禅記念館、万竹園などがある。

豆知識: 済南市に泉が多い原因:済南市の南にたくさんの山がある。泰山山脈の余脈である。済南市は泰山山脈から黄河沖積平原への傾斜面に位置するので、南北の落差が500mぐらいある。
泰山の石質は可溶性石灰岩である。たくさんの大気降水と地表水を吸収して、石灰岩の地下川を通して北へ流れ込む。その流れが黄河あたりの硬質の花崗岩に阻止され、水平運動から垂直運動に変わる。昔市内にたくさんの天然泉があったが、近代、重工業の発展と人口の増加で水が枯れるところが多い。それで済南市では、泉の水の使用を止めて、黄河の水を利用する「保泉運動」を提唱されている。2004年より3年ぶりに回復。2005年5月現在綺麗に湧き出ている。

李清照: 南宋の有名な女流詩人で1084年生まれ、約1151年なくなった。号は易安居士、済南出身。父李格非、母王氏は皆博学の名人である。幼いときから両親の影響を受けて多芸多才である。「一代詩人」と呼ばれ、当時の男にも負けない詩人で婦人の誇るべき人物である。その人生の前半は幸せな生活を送ったが、後半は国も敗ずれ、主人も病気でなくなり、悲しい生活を送った。「生は人傑に成るべき、死は鬼雄に成るべし」という千古の名句を残した。その詩の内容として、前半は自然の美と男女の愛が主体であるに対して、後半は別離と人生の無常が主体である。詩集《易安居士文集》、《易安詞》。

Da Ming Hu・ダイ メイ コ

大 明 湖

大明湖は済南市街区の中心部にあります。旧市街の北部にあって、足勺 突泉、千仏山と並んで、済南の三名所といわれています。公園の面積は、86ヘクタールですが、そのうち湖が46ヘクタールを占めます。

大明湖は、市内の多くの泉水が南から流れこんでできた天然の湖です。、湖の底は火成岩で、水が染み透らず、「恒雨不漲、久旱不涸」(いくら雨が降り続いても漲らず、長い旱魃でも水が涸れない)といわれるように、長年、比較的安定した水位を維持しています。湖には歴下亭、江泉堂、湖心島など大小さまざまな島が6つあります。

自然の風景はとても美しい。湖水は冴え、魚が泳ぎ、舟が行き来します。「四面荷花三面柳、一城山色半城湖」と描写されるように、大明湖では、蓮の花がいっぱいになり、湖畔には柳の木が茂ります。さまざまな建造物もあります。歴下亭、鉄公祠、南豊祠、北極廟など30数ヶ所の名所旧跡があります。

大明湖の中心、歴下亭島は、海右古亭によって有名です。唐代の詩人杜甫が天宝4年(745年)書道家の李ようと一緒にここで酒を飲んだ時、即席で「海右此亭古、済南名士多」と詠んだことから歴下亭は天下に知られるようになりました。

Huang He・ダイ コウ ガ

大黄河

大黄河は中国2番目長い、世界で5番目長い川です。全長5464kmです。青海省から発祥して9つの省を流れて、山東省から海に入る。

済南市の中を通ります。済南市は昔「済水」という大川の南にあるから名前ができたのですが、約150年前の1855年、黄河の防波堤が河南省あたりから崩れて、ここまで流れて済水の河床を奪いました。

済南市区域には、長さ30kmがあります。幅は1−3kmです。砂が多いため、河床がだんだん高くなり、「天上川」になっています。その名にふさわしく年平均砂の含有量は23.6kg/立方m。最大含有量記録は221kg/立方m(1トンの水の1/5相当)

「黄河道路斜張橋」、鉄道橋、浮き橋などの橋があります。


QuanChengGuangChang・セン ジョウ ヒロバ 

泉城広場

             

 

1998年6月、済南市の真ん中に、中心広場を造る工事が始まりました。たった1年半も要らない短い期間に、1999年の9月、中国では天安門広場に次ぐ2番目の広場ー 済南 泉城広場ができました。中国建国50周年の記念物として企画されたのです。

近代的な設計は、インターネットで公開入札により世界各国のデザイナからの案を抜粋によるものです。

地上17万u、地下名店街5万u、付近建物2万uと 合計24万uのものです。

落成後、済南市の観光新名所になり、毎日全国各地から、観光客が来ています。見学の後、地下のデパートで買い物したり(広くて、品物もいいですよ)、日本の回転寿司を食べる事ができます。

真正面の東に、山東省出身、または因縁がある12人の有名人の銅像が置かれた「文化回廊」があります。その北側に、「名誉市民記念壁」があります。世界各国の済南市へ大きな貢献をいただいた人の名前が載っています。

Qian Fo Shan
セン ブツ サン

千 佛 山

千佛山、別名 歴山、舜山。大昔「舜」帝がここで耕したと伝われます。高さ285m、面積110ヘクタール、済南市内三大名勝地の一つです。「斉魯賓館」に泊まるなら全景が見えます。

主な見所は、ふもとにある「興国禅寺」です。隋の時代に建てられ、唐の時代に拡大されました。崖の壁にたくさんの仏像が彫刻された事から「千佛山」と呼ばれるようになりました。文化大革命のときほとんど壊され、現存130ぐらい。

中央道の東に、「瀛芳園」があります。1995年に、桜林の西に、日本を意味する「瀛州」の「瀛」と桜の満開の芳香の香りを意味する「芳」の字を借りて「瀛芳園」を作りました。日本庭園や茶道館があります。

 

山東省博物館

千佛山のふもとにある、4階建てのものです。

もともと市内にある小さい旧館をここに移しました。建築費は12億円をかかりました。展室面積は1.2平方kmで現代の施設が揃った博物館である。山東省各地から集めた骨董品を順次展示しています。

山東省の40万年前の原人時代のものと、7000-4000年前の新石器時代から近代までの文物、用具を中心とする1階と、恐竜の卵とかの動物の化石を中心とする2階、明、清時代の生活用品や服装を中心とする3階からなっています。

この地方の特色を色濃く持つ自然関係の標本と革命歴史関係の文物が収蔵されている。済南付近に出土された四千年の「龍山文化」の黒陶はその真っ黒さ薄さに驚くほどである。それで全中国で唯一の山東省臨沂銀雀山で出土された東漢時代の「孫子兵法」の竹簡も保存されている。

2009年より、入場無料になりました。

Ling Yan Si・レイ ガン ジ

霊 岩 寺

                      

霊岩寺旅行区は、済南市長清県万徳鎮で済南市からバスで約1時間、西南へ約70キロ、泰山へ行く途中にありますから「霊岩寺を見ずに、泰山へ行ったと言えず」という地元の言葉がある。国家級の旅行区である仏教聖地です。敷地面積は、50万平方kmにおよびます。長い宗教の歴史と奥深い文化を持つことで有名です。

五胡十六国時代、高僧竺僧朗がここへきて説法したところ、猛獣はひれ伏し岩石がうなずいたという故事が寺名の由来となっている。東晋に建造が始まり、北魏に発展し、唐宋に盛んになりました。中国四大古刹の第一の寺です。山並みが優れ、景色がすばらしいところです。静かで奥深く、泉と石が秀麗です。寺は山々に囲まれ、摩頂の松、千歳の檀、朗公石、“鏡泄春曉”“方山積翠”“明孔晴雪”などの景色は特に趣があります。

境内には、老木がうっそうと茂り、奇岩怪石が林立しています。洞窟は延々と続き、峰は青々としています。千仏殿、辟支塔、大雄宝殿など有名な場所は数十に及びます。大雄宝殿を過ぎると寺内で最も主要な千仏殿に至る。創建は唐代であるが、現在の建物は明代の建立である。内部は正面に毘盧遮那仏をなかにした三尊像が安置され、四壁には30cm丈ほどの木彫りの小仏が多く、東西と後壁には宋代製作の塑製の羅漢像が40体並んている。高さ・mから1.2mの間である。かつて梁啓起はこの羅漢像を評して「海内第一名塑」と称賛した。第28尊が朗公和尚(竺僧朗)であるといわれている。芸術大師劉海粟は“霊岩名塑、天下第一、有血有肉、活霊活現”といいました。


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