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Ji Ning

サイネイ / ジーニン

済寧

曲阜を含む

基本情報

済寧は山東省の西南の内陸部で、黄淮平原と魯中南山地の交わる所で、江蘇省、山東省、河南省、安徽省の交わる所です。東は臨沂市に連なり、西は荷澤市に接し、南は棗荘市と江蘇省の徐州市で、西北端は黄河を隔てて聊城と相望んでいます。済寧市は温暖帯大陸性季節風気候区に属しています。

済寧市は市中、任城両区と、エン州と、曲阜と、鄒城市と泗水、微山、魚台、金郷、嘉祥、文上、梁山の7県を管轄しています。再任の地理上の位置は優越していて、交通は便利です。京滬、京九、新石の鉄道が境域内を貫き、104,105,327,220の四つの国道が縦横に走っていて、京福、日東の両高速道路がここで交わっていて、京杭大運河が南北に縦貫し、済寧空港は軍民両用空港です。全市は四通八達の鉄道、幹線道路、水路、航空の立体交差の交通ネットワークを形成しています。

済寧の歴史は悠久で、文化は発達しています。済寧は太昊、小昊、伏羲、軒轅皇帝の故郷で、周漢両代に魯国のあった所で、著名な“孔孟の郷、礼儀の邦”です。済寧市は文物古跡が多いです。観光資源は独自の特色があります。国家級重点保護単位が7箇所、省級が50箇所、市級が百余箇所あります。“三孔”“四孟”、武氏祠漢画像石刻は海内外に名を馳せていて、魯国古城遺跡、周公廟、小昊陵、漢碑群、鉄山摩崖石刻などは比較的高い考古学的価値と観賞価値を持っています。水泊梁山と嶧山と微山湖は省級の観光風景名勝区となっています。石門山、尼山は国家森林公園です。済寧は全国人文景観、自然景観が最も集中した地区の一つで、著名な観光名所です。


    


 

観光スポット


有名な孔府家酒。
写真は52度(38度の低度数?もある)

馬車に乗る中国観光客が多い

曲阜  春秋時代(紀元前770年〜476年)には魯国の都城で、また儒教孔子の故郷として、2400年の歴史を持つ町。孔子廟、孔子府、孔子林があり、「三孔」と呼ばれている。郊外には思想家孟子を参拝しる孟子廟、孟子とその一族のお住まい孟子府、孟子の母のお墓孟母林がありる。それで、曲阜は「孔孟の里」と呼ばれる。

三孔見学の時、孔廟、孔府、孔林の順番で見学したほうがよいでしょう。


孔子廟

孔子廟入り口 金声玉振坊 中国3大建築のひとつ 大成殿 毎年9月行われる孔子祭り

孔廟(孔子廟):「至聖廟」ともいう、孔子を祭るための廟です。お庭全体は、北京の故宮と、承徳の避暑山荘とともに、中国の三大古代建築群と称されています。なお、北京故宮の太和殿、泰山の岱廟の「天貝兄殿」(テンキョウデン)とともに、中国の三大宮殿と称されています。

孔子逝去の翌年に孔子が住んでいた3つの部屋をもとにして建てられ、その中に、孔子の衣や冠、礼器などが備えられました。隋代に拡張され、唐代に正殿・廊下など30ヶ所の建築物が増え、明代に現在の規模になりました。孔廟の面積は21.8ヘクタールで、南北の長さは1キロ。部屋は466室。碑刻は2000余りあり、中国では稀な大型碑林のひとつです。
 
 敷地内は前門の金声玉振坊から十三碑亭までの前院と、「大成門」から「聖跡殿」までの后院とに分かれる。 

 金声玉振坊は、4本の石柱を持つ明代の建造物。 石柱には朝天吼という怪獣の彫刻が施されている。 前門の後には、一の門櫺星門(レイセイモン)、二の門聖時門と続き、前院には六の門奎文閣(ケイブンカク)まである。 奎文閣は北宋天禧2年(1018年)に建立された建物で、歴代の皇帝から授けられた書籍や墨跡が収められている。 奎文閣北側に並ぶ13の亭は、唐宋以来の53の石碑を保護するために建てられたもの。 后院は七の門大成門から始まり、孔子が弟子に学問を教えた杏壇の背後に孔廟の本殿、大成殿がある。 龍の浮き彫りを施した巨大な石柱に支えられた大成殿は、長さ約54m、奥行き約34mの巨大建築。 黄色の瑠璃瓦を配され、建物の内外には数々の彫刻や絵画がある。 東南の第1楼には、漢から六朝時代の筆跡をそのまま残す貴重な45碑が保存されている。 大成殿の奥には、明の万暦20年(1592年)に建立された聖跡殿があり、孔子の一生を描いた120枚の石刻画や孔子の画像が集められている。

イベント情報  【曲阜国際孔子文化祭り】天界の孔子の霊を招き、所定の位置に定め、供物や祝詞(のりと)をささげて再び天界へ返す――この典礼を古式にのっとって行い、儒学の祖である孔子を祭るお祭り。供物には牛、豚、山羊を捧げるが、本物を使用するのは全国でもここだけとなる。毎年9月の最終月曜日(20日ごろ)に行われる。

  孔  府 


さすがに中国一の豪族。400件以上の部屋がある 後堂楼。第77代の孔徳成が住んでいた当時のように保存されています。

イベント情報 【曲阜国際孔子文化祭り】天界の孔子の霊を招き、所定の位置に定め、供物や祝詞(のりと)をささげて再び天界へ返す――この典礼を古式にのっとって行い、儒学の祖である孔子を祭るお祭り。供物には牛、豚、山羊を捧げるが、本物を使用するのは全国でもここだけとなる。毎年9月の最終月曜日(20日ごろ)に行われる。

孔府:「衍聖公府」ともいう、孔廟のすぐそばです。孔子の嫡孫の公庁と邸宅で、中国でもっとも歴史の長い封建貴族荘園です。面積は、16ヘクタールで、部屋数463軒、孔子が逝去してから、その子孫はここに住んでいました。孔府は中国でもっとも古く規模の大きい封建貴族荘園です。全体の配置は東、西、中央の3路に分かれている。封建時代の役所と住宅を兼ね備えた膨大な建築群で、東路は「東学」とも呼ばれ、往年の孔氏家廟と作業場であった所。西路は「西学」とも呼ばれ、往年の「衍聖公」(孔子の第46代目子孫)が貴賓と会見したり読書や礼を習ったりする所であった。中央路は孔府の主体となる部分で、前後2部分に分かれ、前方は官署、後方は住宅になっている。内宅は北京の故宮内庭の3宮6院の豪勢さには及ばないが、装飾や室内調度品や文物は精巧で見事なものである。皇帝が下賜したものや高官や資産家からの贈呈品のほか、孔府が高額で買い上げたものもあるこれらの珍宝は、古代中国の歴史、文化を研究する上で、極めて貴重な資料となっている。

孔 子 林

          孔子林の入り口前の神道       孔子の墓

 

孔林(孔子林):「至聖林」ともいう、曲阜市の北1.5キロのところにある孔子とその家族の専用墓地で、面 積は20万平方メートル、周りに7キロ余りの塀が築かれている。歴代に建てられた楼亭坊殿や石碑・石刻が密生して樹林の間に見え隠れている。洙水橋の後ろは東周の墓地で、その中に孔子、孔鯉、孔の三代の墓があり、孔子の墓は高さ6.2メートル、周りは88メートル。曲阜市の北にあり、孔子家専用の墓地です。墳墓は10万余り、大木約42000本があり、2400年の歴史を持つ人工大霊園です。紀元前479年、孔子の弟子たちは、孔子をここに葬りました。その後孔子の子孫たちは皆ここに葬られ、霊園の面積もどんどん拡大されました。

  顔 廟 

   

孔廟の東北方にある。孔子の弟子顔回を祀る。顔廟を創建したのは漢の高祖とされるが、その後も歴代王朝は改修を加え、元代に改築し、明代の1594年に重修拡張したのが現在の規模である。
      中心の建物は広壮な復聖殿で、内部にはもとは顔回の正装の塑像があったという。東西には顔氏の先人が祀っている。

  尼 山 

曲阜市より東南30km離れる尼山の麓にある。最初のなは尼丘山、孔子の父母はここで祈祷して孔子を生んだそうだ。それで孔子は名を丘に、字を仲尼に付けられたのである。孔子廟は69軒の殿堂と三つの庭からなっている。山谷に流れている川知源渓は孔子の生まれた地が知恵の源という意味であろう。川の南岸に天然の石窟霊洞が有り、孔子の生まれたところだそうである。

  孟子廟と孟府 

孟廟

孟廟内

孟母断機

孟府

曲阜からちょっと足を延ばして、日本でも有名な故事:「孟母三遷の教え」の舞台 孟子の故郷に着く。曲阜から28キロで、鄒県の南関にある。孟廟は亜聖廟ともいい(亜は次の意)。中国では、孔子に次ぐ人物であるとされ、「亜聖」とよばれる。孟廟は、代々孟子を祭ってきたところ。
 孟子は幼少の時父が亡くなり母の手で育てられました。母が孟子の教育のために三度も住居を引越した「孟母三遷」や,織っている布を断って学問の中絶を戒めた「孟母断機」の逸話は有名です。
  北宋の景祐4年(1037)、孔子の45代の孫である孔道輔が、四基山で孟子の墳墓を探しあて、その傍らに孟子廟を建立したが、県城から遠くて不便なため、宣和3年(1121)に現在地に移した。
 孟府は鄒県の南関、孟廟の西隣にある。
 孟子の直系の子孫が暮らしてきたところで、造営年代は不詳であるが、孟廟が移設された北宋の宣和3年(1121)から間もないころと思われる。元の至順2年(1331)に孟子が鄒国亜聖公に封ぜられたので、亜聖府と呼ばれ、明代にかなりの規模に達した。
 表側が役所で大堂が中心、その奥が住宅で典型的な四合院のつくりである。
 孟府の漢代の刻石がある。莱子候刻石はその中で一番貴重なものです。中国書道発展の中で非常に重要な地位を占めている。書風は素朴で、古隷の代表作である。

水滸伝の舞台〜水泊梁山


 梁山県城から2.5km本名は良山と好い、西漢文帝の次子梁孝王劉武がここで狩猟をするとき、暑さに当たって死亡した由から梁山と改名されたそうである。五代から宋の時代にかけて、黄河の堤防がたびたび崩れ、洪水が梁山まで来た。北宋宣和時代民衆は官吏の圧迫に耐えたくて、宋江という人が天下の英雄を集めて、梁山を本部にして蜂起した。これは古典「水滸伝」に良く描かれていた。
 金の時代に黄河は河床を変えた。梁山水泊の水源がなくなり、山だけ聳えているようになった。しかし、歴史の古跡はそのまま人にいろいろかじそせるでしょう。

済寧市の見所

嘉祥武氏祠墓群石刻
 済寧嘉祥県にある。石刻、画像が内容豊富で彫刻が精巧で我国の芸術珍品として有名。石獅、石碑が現存。東漢時代の石刻芸術が1900年近くの歴史を持つ。世界の学者の注目を集めてきた。
蕭王荘漢墓群
 今まで1900年の歴史がある。当時の済寧地方の王様と王後のお墓。お墓の外壁に1900年前の石刻があるのは蕭王荘漢墓群の特徴である。
鉄山摩崖刻経
 城市北西の鉄山に位置している。巨大な岩石に刻まれている。南北長66.2メートル、東西・6.4メートル、面・08.5平方メートルである。「経文、石頌、題名」三つの部分からなって?600字余り刻まれている。隷書で、清朝乾隆年間のもので、黄易によって発見された。
太白楼
 李白がよくここでお酒を飲んだので,太白楼と呼ぶ。1200年以上の歴史を持つ。二階立ての建物で15メートル高い。中には「李白」「杜甫」「賀知章」三大詩人の銅像がある。又,名人の詩文と書画がいっぱいある。今「李白記念館」として有名。
済寧鉄塔
 900年の歴史を持つ。全部で9階ある。23.8メートル高い。仏像が36尊がある。建築ラベルが高い。我国の珍貴的鉄芸術遺産である。 
東大寺
 大運河の西側にあル。規模があるイスラム教のお寺。中国の明の時代の建物で約400年の歴史がある。外観が壮大、内装も優雅。2000人一緒に礼拝できる空間を持っている。龍と鳳凰の図案の対応で素晴らしい。


孔府料理
孔府料理の歴史が長く、調理法が優れ、独特な風格があり、中国でも最も長く続いてきた典型的な役所料理である。歴代の皇帝は曲阜に来るときよく食べたから、中国の有名な満漢全席の重要な部分になった。
 その調理法と伝統的な有名料理は代々受け継がれ、長い時間を経たが、衰えを見せていない。孔府料理の用いる材料はきわめて広範囲にわたり、つくり方がきめ細かで、味付けに長じている。その風味の特色は味は淡白で、おいしく、柔らかく、純粋な香りがあり、もとの味が保たれていることである。
 孔府料理の名称のつけ方がきわめて深い意味が含まれている。あるものの名称は古風、素朴、典雅で、詩意にとんでいる。「一卵孵双鳳」「黄?迎春」などがそのいくつかの例である。もう一種の名称のつけ方はその家の栄光をたたえるか吉祥如意を表すものがある。「一品鍋」「一品豆腐」および「吉祥如意」「全家平安」などはたいてい人や事によって異なり、その吉祥の意味をとっている。
孔府料理はまた孔府喜宴(結婚披露宴)、孔府家宴(家族の招待宴)、孔府寿宴(誕生日の宴会料理)に分けられる。内容はそんなに変わらないが、料理名は違う。それぞれ演技のいい言葉を使う。飾り物はそれぞれ「喜」「福」「寿」である。

 

 

 


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