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  Qing Dao
チンタオ/チンダオ


青 島

基本情報

海・天・樹・という中国語の略語で表すように、中国の山東半島には青空と紺碧な海の中に、赤いレンガと緑の木に囲まれたきれいな町ー青島がある。市内の7区市南区、市北区、台西区、台東区、四方区、李村区、浮山区)郊外管轄5市[即墨(ソクボク)市、膠州(コウシュウ)市、膠南(コウナン)市、平度(ヘイド)市、莱西(ライセイ)市]を含む市総面積は10654kuで(うち市区1102ku 日本の行政区画と違って郊外5市も青島市に属する ー注By華青)、総人口は約740万余人、うち市区人口は250万あまりで山東省随一の都会です。(2005年夏現在)

    市区年間平均気温は12.2℃、年間平均降雨量775.6mmです(夏季は57%を占める ー注By華青)。海洋性気候で適度な湿度もあって、いい気候に恵まれている中国屈指の海浜保養地になっています。とくに夏は涼しくて昔から中国の避暑地の代名詞です。

    青島市街は黄海に臨み山に沿って広がります。緑の木に囲まれる赤い屋根、青空、砂洲、海水浴などはこの都市の魅力です。ヨーロッパ風情の都市風光、青い海、起伏する山々は青島の独特な観光資源です。多彩な観光イベント、整った観光施設と便利な交通にひかれて、毎年百万人あまりの観光客が国内外から訪れています。黄海の美しい海岸と砂浜や赤レンガの異国情緒を感じさせる街並みが一望できます。現在のアパートやマンションにも、大きな赤い屋根をつけるのが主流になっているようです。福音教会(現 キリスト教会)、聖弥愛爾教堂(現 天主教会)などの数多くのヨーロッパ建築はほとんどが往時の姿のままに保存されましたので、さらに青島を異国情緒の漂う街にしたのです。

    1891年中国清朝政府はここで 駐兵(1891年は青島市制の始まり)するまでに、青島は辺鄙な漁村であった。1897年ドイツ軍は青島を占領してから、青島はドイツの植民地となった。1914年、ドイツの代わりに日本軍が青島に侵略して、1922年中国政府が青島を取り戻したが、1937年、日本軍は再び青島を占領した、1949年6月2日青島は解放された。現在、青島は中国東部沿海の重要な経済中心と港都市であり、歴史文化名城と観光名勝地でもある。

青島港は山東最大の天然の良港で、中国大陸五大貿易港のひとつです。コンテナ埠頭、鉱石埠頭、原油埠頭、石炭埠頭等を持ち、世界の130の国家と地区の400余りの港と30以上の国際航路が通じています。青島は更に華北、華南、中南、西南、東北の大都市と客車、貨車が直通し、鉄道営業距離は4000キロに近づいています。その他に済南、煙青、環膠州湾、青銀高速道路青島段などの高速道路が通じています。
青島は港を枢軸とする海、陸、空の立体交通ネットワークを形成しています。

    ヨーロッパ風の都市風景や青い海と起伏する山脈などは美妙なメロデイになり、青島は 大変魅力的である。この町を歩くと、絵の世界の中に楽しんでいる気がする。豊富な人文資源、 自然資源、 多彩な観光祭り行事、 完璧な接待施設、 便利な交通があるために、毎年国内外の観光客が2千万人近く青島を訪ねる。(2005年度 青島観光客2500万人突破  -注By華青)

観光スポット


   



   

小魚山公園

必見です!1985年に建設されました。公園面積は800平方米、標高60Mしかない小さな公園ですが、旧市街(桟橋や小青島、迎賓館、信号山など)の眺望が一番すばらしいので、万里の長城や故宮と同じ国家AAAA観光地です(中国最高ランク −注By華青)。頂上には八角構造の「覧潮閣」と呼ばれる建物が立っています。建物を取り巻く各階のベランダからは、青島湾から匯泉湾まで、西欧風の青島の街並みを一望することができて、青島の印象的な風景の一つとなっています。 また公園入り口からはきれいな小道が頂上まで続き、ドイツ建築のミニ模型がおかれています。

迎賓館(旧ドイツ総督官邸)

必見です。青島は従来“万国建物博覧会”と呼ばれています。その中に一番魅力ある建物は迎賓館です。素敵な小魚山の元に位置する迎賓館はヨーロッパ皇居建物の古典風格を受け継いでいます。 高さ30m、建築面積4,080平方米の建物は、100万ドイツマルクを費やして建てられました。内装は絢爛豪華で、厨房、会議室、ダンスホール、食堂、寝室のほか、噴水や水槽が飾られ、さらには総督の安全を守るための兵員も詰めていたとのことです。元々の迎賓館は膠澳地区を管轄するドイツ政府知事の事務所であるゆえ 一時“提督楼”と呼ばれていました。1934年 “迎賓館”と名づけられた後 政界と軍界での国内外の重要な人員の接待場所になります。
 

小青島 (旧ドイツ灯台)

魯迅公園から海沿いの道を西へ歩き、海軍博物館横からつながる堤防が見えます。そこを通って小青島へ入ります。形で中国の古典琴に似るため 別名“琴島”と呼ばれます。小青島は桟橋と並び、 青島のシンボル的な存在です。島には塔高15.5の八角形の純白の灯台があり 夜になると 宝石のような赤い光を発して船を導いています。

桟  橋

全長440Mとなる桟橋は、青島湾の中心、青島一の繁華街中山路の最南端に位置します。写真で見えるように 桟橋は主体が海に入り 南端の半円形の防波堤の上には、民族色豊かな八角亭も建築されています。八角亭の屋根は黄金色の瑠璃瓦、周囲には24本の漆紅円形の亭柱があり、「回瀾閣」と名づけられます。 桟橋の建設は1891年、1949年まで埠頭として使用されてました。現在 桟橋は 青島市人民政府に文物保護施設として指定され .青島の最も人気ある観光スボットの一つになります。
 

八大関ー花石楼

『万国建築博覧会』と呼ばれる30年代24カ国の領事館や外国貴族住宅団地です。区内8本の道路は万里の長城の八つの関所の名前で名付けられたので、 『八大関(ハチダイカン)』と呼ばれる。 道は地形によって起伏され、道路樹も道によって違う。ある道は全部海棠(ヘタン)を植え、 ある道は百日紅ばかりで、 ある道は龍柏(ロンベ)とイチョウで、 ある道はヒマラヤスギとアカシオ植えてある。 春や夏になると、花は燃えた火のように咲き、秋になると、霜に染められた紅葉はもっと赤くなる。ここは有名な別荘区で、と呼ばれ、風格の違い200軒の建築があり、楽しんでいる観光客はいつも足どまりになる。近年、結婚アルバムのロケ地として有名、天気がいい日に新人がいっぱい。

青島テレビタワー

“中国の第一鋼塔”と誉められた 青島テレビ塔は 欅林公園 の中の高さ 116メートルの太平山の山頂にある。高さは 232メートルで青島最高の観光景観である。 高速エレベーターで 52秒で高さ130メートルの“緑宝石 球形の塔楼に登る。遠方を眺めると 海天が一線 となり 気持ちも非常に 清らかである。 中部の銀色UFO式の塔楼は360度回転でき、各角度から青島を見おろすことができる。塔楼の上に230平方メートルの露天展望台で風の歌や雲の話しを聞きながら 青島のきれいな風景を楽しむのは最高である。 その外に ミニ劇場、レジャーレストラン、文化博覧、観光ショッピングなどは 貴方の色々な要求を満足できる。

海水浴場

青島の海岸線は曲がりくねって、険しい岩と細かくて、緩やかな砂浜が混ぜている。市区には海水浴場が7か所もある。第一海水浴場は匯泉海水浴場とも言う、中には波が静か、水は清らかで、砂が細かくて海水浴の設備も完備している。第二海水浴場は八大関保養地にあり、水はとても奇麗で、毛訳東主席等の国家指導者達が何回もここで泳いだことがある。第3海水浴場は太平角(テピンジャオ)の東にあって保養区に面しており、砂浜が400M続いている。第六海水浴場は 桟橋の西側にあり、桟橋海水浴場とも言い、市中心に臨んでいる。石老人リゾート区にも長さの2600Mの海水浴場がある。

青島山砲台遺址

青島山砲台は、青島に侵攻したドイツ軍が1899年から6年の時間を掛けて建設しました。施設は南北二つの砲台跡 と地下司令部から成っています。

山中に建設された地下司令部は、総面積2,000平方米、3階構造で、指揮所など50あまりの部屋と迷路のような地下通路から構成される大きなもので、当時のまま保存されています。
1914年の日独戦争の時、ドイツ軍は降伏直前に砲台を破壊し、地下司令部のみが残りました。解放後は中国海軍の施設として使用された後、1997年11月に修復、一般公開されています。

天主教会(カトリック教会)

青島旧市街のランドマークといえるでしょう。

1934年にドイツの設計師によって設計され、素晴らしい名ゴシック建築であり、面積は2470平方メートルで、高さは60メートルである。教会中のホールの高さは18メーターで、長さ・0メーターで1000人が入れる、教会の建築平面はローマ字の十字形を呈していて、上に鐘が4つがある

青島博物館 (新)

青島博物館には 書、絵、陶器と珍しい歴史文物及び芸術品が 収蔵されている。 中には 旧、新石器時代、北魏(ベウエ)及び歴代の伝世文物もある。 それに、 特定テーマの展覧会を行い、 青島の歴史を展示する。

2009年より、入場無料になりました。

 

労山

“海上第一名山”と呼ばれる労山は 黄海の岸辺にあり、海抜1133メートルである。海に突っ込んで、聳えた労山は険しく、雄壮で、海と連なり、海山奇観である。昔から“神仙窟宅”“霊異之府”と言われる。≪斉記≫には「泰山は 雲より高いけど東海の労山には及ばない」と記載してある。昔し秦の始皇帝、漢武帝は この山に登って 仙人を尋ね、唐明皇から派遣された人も 入山して 丹薬を練り、暦代の文人名士も ここに 遺跡を残したのである。前漢の時、 中国の古来宗教ー道教は ここで広げられ、宋、元、明、清代を経ても 衰えなくて“天下第二道観”と言われる。山には珍しい石と怪しい穴があり、滝が飛び、泉が流れ、山道は曲がりくねっている。人文景観と自然景観がよく調和された労山は82年国務院から全国名勝風景区の一つと認可された。労山観光コースは 中、南、東三つの種類に分け、景色も別々である。
普段、日本人観光客は南コース:太清宮を見る   太清とは道家の最高境界の一つである。太清宮は労山の東南にあり、前は広い海に面し、後ろは奇峰による。太清宮は 労山の一番大きな寺院である。≪太清宮誌≫によると このお寺は漢武帝元年(紀元前140年)に建て始めたのである。主な建物は三宮殿、三清殿、三皇殿などがあり、全部で 140余間である。蒲松齢が≪聊斎志異)≫の≪香玉≫の中に描いた意志の堅い降雪は このお寺を背景にしたのである。

  海軍博物館

兵器ファンなら必見! 中国海軍の唯一の専門的な博物館で、魯迅公園の西側、小青島の岸辺にある。陸地と海港が連がり、環境はきれい。展覧館は三つの部分に分けて、第一部分は 艦区で、 第二部分は武器装備区で、 第三部分は 室内展覧区である。博物館には 潜水艦、駆逐艦及びミサイルなどの武器装備があり、中国海軍歴史の展覧もある。世界でも珍しく、潜水艦を公開している。必見。

 2009年現在改造中。世界一の海軍博物館を目指している。

 

 

  五四広場

新市街地の中心、市役所前にある。毎日青島市民や観光客でにぎわう。土日は様々なイベントが行われる。

2008年、オリンピックヨット競技が向川の海域で無事終了し、ここから徒歩10分でオリンピックセンターへ入ります。

2009年8月より、 オリンピックセンター見学が無料になる予定です。





    青島ビール工場、ビール博物館

青島ビール株式会社の前身は国営青島ビール工場、1903年にドイツとイギリス両国商人の合弁で創建された。我が国の初めてのビール工場で、国内外で名を馳せるビールブランドを有している。1954年から、東南アジアへ輸出し始め、相次いでアメリカとヨーロッパ市場を開拓した。目前すでに世界40カ国以上に輸出している。1963年に全国ビール質量大会で国家名酒、唯一の金メダルを獲得した。1991年、中国十大商標の一つに指定された。1981年、1985年、1987年アメリカで挙行された国際ビール大厦で連続3回も金メダルを獲得し、アメリカ市場では販売量一番多いアジアビールになった。1991年ベルギーのブリュッセルと1993年シンガポールのビール大会で連続金メダルを得た。 1993年6月、青島ビール工場をベースに、中外合弁青島ビール第二有限公司を吸収し、青島ビール株式会社を創立した。香港と上海でH種とA種株が上場し、海外で最初に上場した中国企業で、1995年12月に国家外経貿部に中外株式会社に批准された。1997年3月に日本のアサヒビール会社と合弁し、深圳青島ビール有限公司を設立し、青島ビールは株の51%をもっている。青島ビール工場科研所は中国唯一の『国家級ビール技術中心』である。

青島ビール博物館は青島ビール第一工場の旧ドイツ工場と古い設備を利用して作った ビール専門の博物館です。2003年8月15日青島ビール百周年記念を合わしてオープン されました。建築面積は6000uあり、古い写真、以前の設備、蝋人形、現在の生産ラインと二つのビールバー(試飲所)、記念品売店などがあります。
 

 


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